-
三軒茶屋から下高井戸まで
商店街を巡って・・つまみぐいしながら・・散策です
今年で3回目だそうです・・・
2010/09/06 10:09:43
-
7月17日(土)
朝、9時から息子に手伝ってもらって車に荷物を積み込む。
息子が部活から帰ってくるのを待って、
12時半過ぎに家を出発。
昨日、3連休をキャンプで過ごそうと急遽決める。
場所は、群馬県の『ファミリーオートキャンプ場そうり』
http://www.city.midori.gunma.jp/kankoguide/asobu/camp.html
ここを選んだ理由は2つ。
◯群馬県のキャンプ場に行った事がなかったので
◯19日に埼玉県大宮県営球場でで母校の野球の試合があるので
東北道沿線で行けるキャンプ場に行きたかった。
と言う事でこのキャンプ場を前日に予約。
今回は、いつもの荏原から首都高に乗るのではなく
三軒茶屋から乗って、C2で行く事にする。
池尻で話題のループをぐるぐる降りてC2に乗る。
目が回りそうだった。S1の乗り換え東北道に。
佐野ICで降り50号線を桐生方面へ。途中足利市を通ると
『日本最古の学校・足利学校』という看板が、、。
中学校か高校で習った記憶があり興味をそそられたので少し寄り道。
http://www.ashikagagakko.jp/
古くは、奈良時代の国学の遺制であるという説。また平安 時代初期、天長9年(832)小野篁(おののたかむら)が創建したという説。鎌倉 時代の初期、建長元年(1249)に鑁阿寺を開いた足利義兼 (足利尊氏六代の祖)が建てたという説。室町時代中期、 永享11年(1439)に関東管領(かんとうかんれい)上杉憲実(うえすぎのりざね)によって開かれたと いう説などがありますが、学校の歴史が明らかになるのは 室町時代中期以後、だそうです。
500年以上前からあるのは確実。正直こんな(失礼)田舎にこれだけの学校があったのは凄い事だ。
買い物にも行かなきゃならないし、まっすぐ向かっても5時過ぎそうだったのでゆっくり見学は出来なかった。
子供達がトイレに行く間に、ビデオを少し見る。
http://www.ashikagagakko.jp/video.html
学校を出て、50号線に戻る途中に、偶然にも
『渡良瀬橋』を通る。
http://kofunmoodys.fc2web.com/asikaga_1_kouen.html#yakumo_jinja
僕らの世代には懐かしい歌の場所。
キャンプ場のおじさんに電話で一番近いスーパーを聞くと、大間々の『FUJI Mart』
が一番近いという事で、“鹿”という交差点まで行き県道69号線を右折して買い物に行く。
このスーパー、食材が安い。ご飯も量り売りでジャーに入って売っているし、コロッケ一個25円。
もやし3円。生餃子8個入りが100円とか。子供達がバーベキューしたいというので
牛肉も買う。こちらは奮発して国産の5等牛のステーキ。バーベキュー用の肉もいいヤツを買う。
ちょっとして買った花火を忘れてきてしまった事に気付く。娘が残念そうだった。
国道122号線に入り、30分ほど走り草木ダムを越えて、目的地の『ファミリーオートキャンプ場そうり』
に着く。既に5時半を回っていた。僕らが借りたのは21番サイト。3連休だがそんなに混んでいないので隣のサイトに車を置き
急いでテント・スクリーンタープを設置。息子が張り切ってくれてすんなり準備が完了。
設置後すぐに日が暮れランタンに火を灯し、バーベキューの用意。炭火を起こし
アルミホイルでくるんだじゃがいもを火に放り込み、最初はウィンナー。
鶏肉を焼いた後に、お待ちかねのステーキ。買ったご飯と一緒に頬張る。
ちょうど食べ終わった頃に雨が降ってくる。タープ内に移動し飲む。
ふと、気付くとセミがさなぎから脱皮している所を発見。我が家のテントのロープを使って
脱皮している。なんでこんな所を選んだんだろう。無事巣立つ所を見守る。
酎ハイを6杯飲んだところでこの日は就寝。
2010/07/21 01:07:36
-
SL旅シリーズ第7回目は、東京都世田谷区立、世田谷公園内で静態保存中のD51 272号機 です。
静態保存とは、機械類が、本来の用途としての動作・運用が可能でない状態で保存されていること。対して、動作・運用可能な状態で保存されている場合は動態保存と言います。静態保存の状態から動作・運用可能な状態に復元することも行われ(その事をレストアと言います)動態の状態であった機器類が保存・維持管理が悪いために静態保存となる場合もあり、また、静態保存の一種に、後に現状復帰させることを前提としたモスボールがあります。精密機器類の取り外し、稼働個所にグリス漬け、各所の隙の封止を行う等の、なるべく劣化が起こらない処置を取った上で保存する事を指します。
最近話題になっているC61形20号機が有名で群馬県伊勢崎市華蔵寺公園で保存されていたC61を動態保存にするため、現在JR東日本大宮総合車両センターでレストア復元中です。
参考資料 Wikipediaより引用
D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、その所属両数は総数1,115両[1]に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数では最大を記録した。また「デゴイチ」の愛称は有名で、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。
D51形272号機
1939年、昭和14年8月7日に川崎車輌製で川崎車輛(45両)中 D51 265 - 309(製造番号2143 - 2152, 2168 - 2177, 2191 - 2197, 2200 - 2209, 2212, 2211, 2210, 2213 - 2217)の内の1台で広島に新製配置され、その後小郡・柳井と山陽本線西部の機関区を移動。昭和29年に九州に渡り熊本区を中心に鹿児島本線で活躍した蒸気機関車で、昭和32年11月に日本国有鉄道小倉工場で、1945年以後に除煙板を上半分を残して切り取り、車体にアングル材で取り付けた除煙板、いわゆる小工式デフレクターが登場しました。この事を門司鉄道管理局式デフレクター、略して門鉄デフ、門デフと呼ばれて親しまれ、その小倉工場にて切取りデフ(門デフ)を装備しました。普通の大きなデフレクターをCUTして大きさを小さくし効率よくした物をさします。
その後、昭和45年に周辺の電化などによって再び本州に戻り、厚狭区に配置されて美祢線などで働き、そして、廃車は同区で昭和47年9月30日に長年の役目を終えました。
現在は東急田園都市線の池尻大橋と三軒茶屋駅の中間あたりにある区立世田谷公園内に保存されております。
2010/07/10 10:07:12
-
山手線の駅名にもなっている「目黒」「目白」。
ご存知の方も多いかもしれませんが、それぞれの地には、目黒不動、目白不動さんがあり、そればかりか、お江戸には他の色のお不動さんもあったという。
現在でも残っているカラーお不動さんは、他に、目赤、目青、目黄。ただ、目黄不動がいくつもあったり、江戸時代からは場所が移転したり、明治以降に「目黄」とエントリーされたり、など、節操がないっちゃない。
それでも、まとめてまわるのは楽しそう、と、一日で散歩してみました。「→」部分は徒歩、「>」部分は電車です。
(不動前)→目黒不動→(不動前)>南北線>(本駒込)→目赤不動→根津神社※1→(根津)>千代田線>(北千住)>日比谷線>(三ノ輪)→土手の伊勢屋※2→目黄不動(永久寺)→(三ノ輪)>日比谷線>(秋葉原)>総武線>(平井)→目黄不動(最勝寺)→(平井)>総武線>(千駄ヶ谷)→目黄不動(龍厳寺)→(北参道)>副都心線>(雑司が谷)→目白不動→(雑司が谷)>副都心線>(渋谷)>田園都市線>(三軒茶屋)→目青不動
※1 つつじ祭り中だったため立ち寄り。
※2 ランチ。
他にも、北参道の手前で鳩森神社で富士塚登ったりとか、ちょこちょこと休憩(?)してますが、枚数かさんじゃうし、メインだけってことで。
2010/06/11 04:06:27
-
三軒茶屋から世田谷線に乗り豪徳寺へ行ってきました。
2010/01/27 09:01:43