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三軒茶屋から下高井戸まで
商店街を巡って・・つまみぐいしながら・・散策です
今年で3回目だそうです・・・
2010/09/06 10:09:43
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(表紙写真は日本人が修復したサラマンカ大聖堂のパイプオルガン)
「アビラ」の城壁は、
11世紀にイスラムからの侵攻を防ぐためカトリック教徒が造ったもので、中世の城塞都市としてそのまま残っています。
さらに、12世紀に建てられた「カテドラル」も城壁に組み込まれて、砦の役割も果たしているそうで、徹底しています。
街の外の「クアトロ・ポステス」という4本の柱と十字架がたつ展望台からは、90の塔と、9つの門に囲まれた市街が一望でき、その光景は圧巻です。当時の砦に対する真剣さが伝わってきます。
アビラから100キロほど離れたところにある「サラマンカ」は、
ローマ時代、イベリア半島の北と南を結ぶ商取引の動脈の中継都市として、また14世紀にローマ教皇がボローニャ、パリ、オックスフォードと共にサラマンカ大学を西欧の4大大学として認定したことから、学問の中心地としても発展し、今でも世界中から留学生が集まる学生街となっています。
大学の近くにあって学生も多い「マヨール広場」は、スペインでも一番美しいと言われるそうですが、
これは18世紀のチュリゲラ様式というバロックの派手なやつ。
近くにある「大聖堂」は、12世紀・ロマネスク様式の旧カテドラルと16世紀・ゴシック様式の新カテドラルが重なり合っている珍しいもの。
ホタテで飾られた15世紀の「貝の家」はサンティアゴ巡礼者を守る家でゴシック様式。
16世紀建造の「サラマンカ大学」のファザードは、プラテレスコ様式というゴシックの派手なやつ。
おまけに、「アールヌーボーとアールデコ美術館」という20世紀の建物もあって、街中に壮麗な装飾の建物が溢れています。
さらに、大学の「かえる」や、大聖堂の「宇宙飛行士」など・・・、書いていったらキリがない。「遊び心」たっぷりのスペインです。
もう一つどうしても書きたいのは、大聖堂のスペイン最古のパイプオルガンについて。
日本人のオルガン製作者の辻さんという人が、壊れたままで置かれていたのを修復しようとして、4千万円の募金を呼びかけた時に、たまたまサラマンカを訪れられた美智子皇后の一声で募金が集まって修復が実現し、1990年から奏でられるようになったそうです。
表紙の写真は、その「パイプオルガン」です。
2010/09/03 11:09:59
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7月17日(土)
朝、9時から息子に手伝ってもらって車に荷物を積み込む。
息子が部活から帰ってくるのを待って、
12時半過ぎに家を出発。
昨日、3連休をキャンプで過ごそうと急遽決める。
場所は、群馬県の『ファミリーオートキャンプ場そうり』
http://www.city.midori.gunma.jp/kankoguide/asobu/camp.html
ここを選んだ理由は2つ。
◯群馬県のキャンプ場に行った事がなかったので
◯19日に埼玉県大宮県営球場でで母校の野球の試合があるので
東北道沿線で行けるキャンプ場に行きたかった。
と言う事でこのキャンプ場を前日に予約。
今回は、いつもの荏原から首都高に乗るのではなく
三軒茶屋から乗って、C2で行く事にする。
池尻で話題のループをぐるぐる降りてC2に乗る。
目が回りそうだった。S1の乗り換え東北道に。
佐野ICで降り50号線を桐生方面へ。途中足利市を通ると
『日本最古の学校・足利学校』という看板が、、。
中学校か高校で習った記憶があり興味をそそられたので少し寄り道。
http://www.ashikagagakko.jp/
古くは、奈良時代の国学の遺制であるという説。また平安 時代初期、天長9年(832)小野篁(おののたかむら)が創建したという説。鎌倉 時代の初期、建長元年(1249)に鑁阿寺を開いた足利義兼 (足利尊氏六代の祖)が建てたという説。室町時代中期、 永享11年(1439)に関東管領(かんとうかんれい)上杉憲実(うえすぎのりざね)によって開かれたと いう説などがありますが、学校の歴史が明らかになるのは 室町時代中期以後、だそうです。
500年以上前からあるのは確実。正直こんな(失礼)田舎にこれだけの学校があったのは凄い事だ。
買い物にも行かなきゃならないし、まっすぐ向かっても5時過ぎそうだったのでゆっくり見学は出来なかった。
子供達がトイレに行く間に、ビデオを少し見る。
http://www.ashikagagakko.jp/video.html
学校を出て、50号線に戻る途中に、偶然にも
『渡良瀬橋』を通る。
http://kofunmoodys.fc2web.com/asikaga_1_kouen.html#yakumo_jinja
僕らの世代には懐かしい歌の場所。
キャンプ場のおじさんに電話で一番近いスーパーを聞くと、大間々の『FUJI Mart』
が一番近いという事で、“鹿”という交差点まで行き県道69号線を右折して買い物に行く。
このスーパー、食材が安い。ご飯も量り売りでジャーに入って売っているし、コロッケ一個25円。
もやし3円。生餃子8個入りが100円とか。子供達がバーベキューしたいというので
牛肉も買う。こちらは奮発して国産の5等牛のステーキ。バーベキュー用の肉もいいヤツを買う。
ちょっとして買った花火を忘れてきてしまった事に気付く。娘が残念そうだった。
国道122号線に入り、30分ほど走り草木ダムを越えて、目的地の『ファミリーオートキャンプ場そうり』
に着く。既に5時半を回っていた。僕らが借りたのは21番サイト。3連休だがそんなに混んでいないので隣のサイトに車を置き
急いでテント・スクリーンタープを設置。息子が張り切ってくれてすんなり準備が完了。
設置後すぐに日が暮れランタンに火を灯し、バーベキューの用意。炭火を起こし
アルミホイルでくるんだじゃがいもを火に放り込み、最初はウィンナー。
鶏肉を焼いた後に、お待ちかねのステーキ。買ったご飯と一緒に頬張る。
ちょうど食べ終わった頃に雨が降ってくる。タープ内に移動し飲む。
ふと、気付くとセミがさなぎから脱皮している所を発見。我が家のテントのロープを使って
脱皮している。なんでこんな所を選んだんだろう。無事巣立つ所を見守る。
酎ハイを6杯飲んだところでこの日は就寝。
2010/07/21 01:07:36
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2010年子連れイタリア旅行記その1(パリ街歩き~ローマへ)http://4travel.jp/traveler/fiat500c/album/10477599/
2010年子連れイタリア旅行記その2(ローマ街歩き)http://4travel.jp/traveler/fiat500c/album/10477627/
2010年子連れイタリア旅行記その3(ローマ~フィレンツェ列車の旅)http://4travel.jp/traveler/fiat500c/album/10477699/
2010年子連れイタリア旅行記その4(フィレンツェ~ヴェネツィア列車の旅)http://4travel.jp/traveler/fiat500c/album/10477706/
2010年子連れイタリア旅行記その5(フィレンツェ街歩き)http://4travel.jp/traveler/fiat500c/album/10477729/
2010年子連れイタリア旅行記その6(フィレンツェ~オルヴィエート列車の旅)http://4travel.jp/traveler/fiat500c/album/10478378/
2010年子連れイタリア旅行記その7(オルヴィエート~ローマ列車の旅+成田帰国)http://4travel.jp/traveler/fiat500c/album/10478391/
旅行記サマリ:ローマ街歩き。食べ歩き。
テルミニ駅に着いたら駅のカフェの前でローマのB&Bを経営する日本人"モシモシ"さんと落ち合う。
モシモシさんのBlogはhttp://dioclezian.exblog.jp/。イタリア人の旦那さんと一緒に経営している、さっぱりしたお姉さん。宿の予約などの連絡先もBlogに書いてある。
今回は1歳の娘と一緒の旅行なので病院等緊急事態に日本語が通じる宿を押さえておいた。
この宿には共同使用のPC(Windows7)が置いてあり、ものすごく便利。イタリア語版のキーボードは初めてだったが問題なく使えた。無線LANもAPがあり使える。
更に携帯電話を貸してくれて、何かあったらモシモシさんにワン切りするとコールバックが掛かってくる。そこで質問・要望・困ったことに関して聞ける。下手なコンシェルジュサービスよりもずっと使いやすくてありがたい。
偽警官やスリの話を面白おかしく話してくれるので翌日からの注意に気をつけられる。
10万円単位でスられる人や、「FBIだ」と言われて信じちゃう人もいるということも聞けた。
自分がそんな目にあったとしたら・・・そんな大金持ってないし、FBIがイタリアで仕事している理由を細かく聞いちゃいそう(笑)
夕方チェックインし、そのままシャワーを浴びて眠る。
16日朝雨が降ったりやんだりの中、近所のスーパーマーケットの場所を聞き買出しに出る。石鹸、ボックスティッシュ、食材、ミネラルウォーター等。
雨が上がり青空が出てきたのでトレビの泉に向かって歩く。着いた途端、ものすごい人だかり。
近くの美味しいローマスタイルのピッツァ屋でランチ。
やはり本場のピッツァは旨い。
カプレーゼのほか、マルゲリータ、カプリチョーザ、カルツォーネと食べた。娘も旨さがわかるのか、がっついた。(1歳くらいからピッツァやパスタを食べさせていたので抵抗は無かったみたい)
その後スペイン広場へ。こちらもものすごい人だかり。
聞けば5月下旬はウルトラハイシーズンらしい。
歩き疲れたが休むカフェに席が空いてない。
デル・コルソ沿いにようやく見つけて一息入れる。本屋で絵本を買う。宿に帰ってシャワー浴びて寝る。
17日早朝、娘が寝ている間に単身バチカンへ。テルミニ近くの宿からバチカン・サン・ピエトロ大聖堂まで歩く。6時10分くらいから歩き始め、サン・ピエトロ広場に着いたのが6時55分。7時からサン・ピエトロ大聖堂に入る。圧倒される雰囲気。
退去後、もと来た道を戻り、カンポ・ディ・フィオーリの市場を見る。花市場というよりは観光客向けの市場かな。
フォロ・ロマーノ横を歩いて帰る。その頃にはヨーロッパの修学旅行生がわんさと居て、先生の講義・説教があちこちで見られる。
宿に帰ったらまだ娘は寝ていた。娘が起きたら駅のそばにあるカフェで朝食に出る。
切り売りのピッツァ、カルツォーネ、ライスコロッケにエスプレッソ。娘はどれも食べる。
腹ごなしが終わったら観光バスに。
ローマ110バスは各国語で案内のテープが流れローマの土地勘を養う為に最適で、停留所のどこでも乗ったり降りたりすることの出来るバス。
2階建てのバスで2階はほとんど屋根が無いので見晴らしはよい。
ほぼ半分が過ぎた頃に雨が降ってきたので一周したところで下車。2階の先頭だけは屋根があって助かった。
ランチはローマ・テルミニ駅の2階のカフェテリアで。
生ハムとメロン、ミラノ風カツレツ、サラダ、フレンチフライ。
オリーブオイル、ビネガー、バルサミコ酢は大瓶のまま使い放題。
娘はフレンチフライとメロンがお気に入り。
義父が夜にFCOに到着するので、奥さんが迎えに行く間、駅のショッピングモールで時間を潰す。チョコレートショップのカファレル等をブラブラ。
奥さんを見送った後、娘と夕食を買いにスーパーマーケットに出かける。下着や靴下を買うほか、夕食も購入。何に食いつくか予想がつかないのでペンネアラビアータ、チーズリゾット、ピッツァクアトロフォルマッジを購入。
結局ペンネを大人1人分完食。食べ終わって風呂に入れた後娘を寝かせていたら義父が向かいの部屋にチェックイン。義父の部屋はテルミニ駅側で窓の外の景色が良い。
宿周辺の情報をシンクした後、就寝。娘の様子を見ていると体調を崩す心配もなさそうなのでフィレンツェから帰ってきて飛行機に乗る前日のローマ宿泊の予約をキャンセル。替わりにオルヴィエートのホテル・マイターニに1泊分の予約を入れる。
18日朝、娘が起きたらビックリしている。"じいじ"がいるから。ものすごく嬉しそう。
それまで「じいじ」と呼んでなぜ居ないの?という顔をしていたから。なんとなく本人も家とは違う遠いところに来たようだと認識が出来ていたようだが。
荷物をパッキングしつつ、義父をローマ110バスを薦めてみる。
義父が宿に帰ってきたので、宿をチェックアウトし、午後にイタリア鉄道の高速列車でフィレンツェへ。
2010/07/13 06:07:23
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SL旅シリーズ第7回目は、東京都世田谷区立、世田谷公園内で静態保存中のD51 272号機 です。
静態保存とは、機械類が、本来の用途としての動作・運用が可能でない状態で保存されていること。対して、動作・運用可能な状態で保存されている場合は動態保存と言います。静態保存の状態から動作・運用可能な状態に復元することも行われ(その事をレストアと言います)動態の状態であった機器類が保存・維持管理が悪いために静態保存となる場合もあり、また、静態保存の一種に、後に現状復帰させることを前提としたモスボールがあります。精密機器類の取り外し、稼働個所にグリス漬け、各所の隙の封止を行う等の、なるべく劣化が起こらない処置を取った上で保存する事を指します。
最近話題になっているC61形20号機が有名で群馬県伊勢崎市華蔵寺公園で保存されていたC61を動態保存にするため、現在JR東日本大宮総合車両センターでレストア復元中です。
参考資料 Wikipediaより引用
D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、その所属両数は総数1,115両[1]に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数では最大を記録した。また「デゴイチ」の愛称は有名で、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。
D51形272号機
1939年、昭和14年8月7日に川崎車輌製で川崎車輛(45両)中 D51 265 - 309(製造番号2143 - 2152, 2168 - 2177, 2191 - 2197, 2200 - 2209, 2212, 2211, 2210, 2213 - 2217)の内の1台で広島に新製配置され、その後小郡・柳井と山陽本線西部の機関区を移動。昭和29年に九州に渡り熊本区を中心に鹿児島本線で活躍した蒸気機関車で、昭和32年11月に日本国有鉄道小倉工場で、1945年以後に除煙板を上半分を残して切り取り、車体にアングル材で取り付けた除煙板、いわゆる小工式デフレクターが登場しました。この事を門司鉄道管理局式デフレクター、略して門鉄デフ、門デフと呼ばれて親しまれ、その小倉工場にて切取りデフ(門デフ)を装備しました。普通の大きなデフレクターをCUTして大きさを小さくし効率よくした物をさします。
その後、昭和45年に周辺の電化などによって再び本州に戻り、厚狭区に配置されて美祢線などで働き、そして、廃車は同区で昭和47年9月30日に長年の役目を終えました。
現在は東急田園都市線の池尻大橋と三軒茶屋駅の中間あたりにある区立世田谷公園内に保存されております。
2010/07/10 10:07:12