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三軒茶屋から下高井戸まで
商店街を巡って・・つまみぐいしながら・・散策です
今年で3回目だそうです・・・
2010/09/06 10:09:43
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<2005年3月16日(水)>
竹村さんが話された、この日の行動予定です。7時15分モーニングコール、朝食は7時30分から。8時45分にホテル出発でした。順調な旅行の様相になりましたから、一定のリズムが出来てきました。いつも通り、6時頃には起床しました。
<ポルトガルの概況>
現地ガイドさんからお聞きしたポルトガルの概況です。日本の1/4、人口は1/10です。北部に人口集中し、南部は過疎化しています。北は2千mクラスの山、南部は平坦です。雨は冬の時期に降り、夏は乾季です。降雨量は北が多く、南部は少量。今年はダムの貯水量が減り、夏の水不足が懸念されています。平均気温は20度C程度で、日本より高めです。
首都リスボンでは、13万台の車が通勤で流入し、駐車場探しが大変なようです。国産車の生産はなく、通勤に会社の車を使う人も多いそうです。日本の外来語となったものは、コップ、カッパ、コンペイトウ、フラスコ、ジョウーロ、パン、テンプラ、シャボン、テンプラ、チャルメラなどの言葉があります。
<ロカ岬見学>
ロカ岬見学の途中で改装中の闘牛場を見ました。既に5年がかりですが、のんびりと改修をやっているようで、完成の目途はないようです。水道橋も見ましたが、ローマ時代のものにしては、新し過ぎる感じでした。
岬への道はつづら折れの登りになっていました。その角々で、大西洋が見渡せました。ヨーロッパ大陸の最先端は、松葉ボタンが一面を覆っていましたが、花はまだ疎らでした。十字架が立つ記念碑をバックに、竹村さんに記念撮影のシャッターを押してもらいました。
カモンエスの「ここに地果て、海始まる」の詩にある岬は、最先端と言う特別な位置を措いても、素晴らしい景観でした。岸壁に押し寄せ、砕ける波に、暫く時を忘れて見入りました。一時期、宮本輝の作品を全部読んだことがありますが、同名の小説もありました。
<シントラ見学>
シントラで連想するのが、ベートーベン(1770~1827)の時代のシントラー(1798~1864)のことです。ベートーベンの死の床にも立ち会った人で、「諸君喝采したまえ、喜劇は終わった」の言葉を聞いた一人とも言われています。(例えば、諸井三郎著、ベートーベン、旺文社文庫)
シントラー(シンドラーの表記もあります)は、自称「無給のベートーベンの秘書」と呼んでいたようです。「ベートーベン伝」の著者として知られますが、近年の研究で、評価が二分されています。
そのシントラーとの関係は分かりません。シントラの町は「文化的景観」が、世界文化遺産として登録され、その中心が王宮です。ロカ岬見学の帰りに立ち寄りました。
王宮は残念ながら休館日でしたから、外観だけの見学でした。円錐形の巨大な二本の煙突がシンボルです。自由時間になりましたので、土産物店巡りや、露地を回って古都の雰囲気を味わいました。幸運の雄鶏の置物やコルク製品等が名物です。土産用にいくつか買い求めました。
<おじやの昼食>
この日の昼食で飲んだワインの話です。白ワインのハーフボトルでした。メモしたラベルは、VINHANS GARCAS VIHNでした。残念ながら、これも手元の事典をいくつか当たってみましたが製造会社など、詳しいことは分かりませんでした。
1995年に世界最高ソムリエに輝いた田崎真也のセレクトしたワインを飲んだり、番組を見る事が増えました。その田崎さんのポルトガルワインの評価です。「DO(原産地統制呼称法)が確立されてから、まだそんなに歴史がありませんので、逆に言えばこれからの可能性は無限大といえます。価格も魅力的です」(1996年発行、ワイン生活)とありました。
田崎さんの本からのご紹介です。フランス風のエスプリも入っていると思いますから、その積もりでお読みください。「飲む本人が美味しいと思う時が飲み頃だと思います。若い女性が好きな人もいれば、熟女が好きな人もいると同じです(ワイン生活)」、「ワインは女性と同じで。やさしく大切に扱った方がいいということですね(ワイン生活)」。後は、ご自身でお読みください。
田崎さんに関しての話です。自分で釣った魚の料理に対し、ワインではなく、「この料理には熱燗の日本酒が一番合います」と話された番組を見たことがあります。シャブシャブの肉料理には白ワインを勧められていました。まさに達人だと、いつも感心させられています。
ところで、肝心のおじやの話です。日本語が達者なイタリア生まれの人が熱心に勧められていました。私の評価では、お代わりする程のものではありませんでした。食前酒で出されたのは甘いポルトワインでした。小さなグラスでしたから、丁度いい量です。それ以上は飲めません。
<ベレンの塔、発見のモニュメント見学>
大航海時代の1519年に建築されたベレンの塔は、ジェロニモス修道院と併せ、世界文化遺産に登録されています。もともと侵入者を見張る目的で建設された砦ですが、その歴史を忘れさせるような、優美なマヌエル様式が見事な白亜の塔です。自由時間の間に、塔の西側にも回って写真を撮りました。
発見のモニュメントの方は、エンリケ航海王子の500回忌に当たる1960年に建造されました。テージョ川に面したベレン地区にあり、塔からも至近距離にあります。
高さ52mのカラベル船の先頭に立つのがエンリケ航海王子です。その後ろには、ポルトガルの歴史的な人物が続きます。航海者、学者、詩人、宣教師などです。塔へはエレベーターで登ることができますが、この日は外観だけの見学でした。
<ジェロニモス修道院見学>
航海士ヴァスコ・ダ・ガマ、詩人カモンエスが眠る修道院です。マヌエル1世が1502年に建設した華麗な寺院です。マヌエル様式の記念碑的建築物です。修道院が寺院に替わったようです。
一番奥にあるいくつもの絵画が飾られた祭壇、見事なシルエットの回廊等、さすがに世界遺産に指定された寺院だけのことはあります。
<リスボンの地下鉄>
ホテルでの食事の後に時間がありましたから、リスボンの地下鉄乗車に出かけました。最寄のローマ駅で10回券を入手して、カラベラ線の南の終点、カイス・ド・ソドレ(Cais do Sodré)駅まで向かいました。昼間見学したベレン地区の東側に位置します。昼間、現地ガイドさんに、「回数券は自動販売機で買えますか?」と尋ねましたが、「エッ」といった反応でした。それで、それ以上は質問しませんでした。地下鉄の窓口で買い求めた回数券は、6ユーロ15セントでした。
大分遅い時間になっていましたが、先生に引率された修学旅行生らしい団体も乗り合わせました。ローマホテルの宿泊客のようでした。リスボンの地下鉄は、治安がいい印象です。利用をお勧めできます。
ロカ岬で
大海の波は寄来て砕散るロカの岬に春は来にけり
ユーカリの林を出でて赤松の林は続く岬の小道
シントラで
喘ぎつつ登るシントラ石畳藁に挿したる風車あり
昼食のレストランで
食前のポルトワインを飲干しぬ甘さ懐し小さきグラス
発見モニュメントで
航海を讃し発見モニュメント旅立つ先は今も果無し
2010/08/29 08:08:15
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ベトナム・ホーチミンに3泊5日で行ってきました
エアーとホテル、観光のパッケージです
ホテルはメインストリートのドンコイエリア周辺スーペリアクラスでキムドホテルでした
観光は専用車です
ANA931便は18時20分成田発で到着は現地時間23時と遅いです
時差は2時間ベトナムが遅いので飛行時間は6時間半ほどです
深夜なので他に人はいなく入国はスムーズでした
ベトナムの通貨はベトナムドン
ゼロが多くって・・・・感覚が分からない・苦笑
ドルでも通用するらしいのでドルを持って行き1万円だけ空港で両替しました
1万円で18万8千ドンでした
1万ドンは50円
10万ドンは5ドル50セントと覚えました・笑
ドルで支払ったので1万円の両替で十分だったように思います
空港にはガイドのホウさんが待っていてくれすぐにホテルまで送ってくれました
ベトナムはよくフランスのエスプリが残る~等と表現され美しい街かと思ってましたが実際はオートバイと車の洪水で何処にもフランスはありませんでしたが人民公会堂とサイゴン教会中央郵便局は美しい建物でした
ベトナムもまだまだ貧しい国ですがとにかく人=オートバイが多く人々の活気を感じる国でした
ベトナムと言えばベトナム戦争を忘れる事はできません
正直私も詳細を忘れていましたが今回クチトンネルに行きべトコンの知恵や勇気には感服しました
日本にも悲惨な歴史はありますが歴史博物館を訪れて改めて戦争はいけないと思います
ホーチミンに行かれる方はクチトンネルも訪れて欲しいです
ベトナムはエステが安いと聞いていたので楽しみだったのですがネットで口コミ等の情報収集をすると同じお店でも色々な意見がありお店を選ぶのに困りました
予約したお店もあったのですがぶらりと入ったお店で4時間コースを受け満足でした
ホテルにもSPAがあったので行きましたがなんと宿泊者は半額で1時間のボディマッサージが7ドル50セントだったのには感激でした
パークハイアットでランチをしたり1月にオープンのゴージャスなナムパァンで美味しいお料理を頂き食事も満足のホーチミンです
今回もその国に行く事で認識出来た事が多くあり有意義な旅になりました
2010/07/26 12:07:47
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7月17日(土)
朝、9時から息子に手伝ってもらって車に荷物を積み込む。
息子が部活から帰ってくるのを待って、
12時半過ぎに家を出発。
昨日、3連休をキャンプで過ごそうと急遽決める。
場所は、群馬県の『ファミリーオートキャンプ場そうり』
http://www.city.midori.gunma.jp/kankoguide/asobu/camp.html
ここを選んだ理由は2つ。
◯群馬県のキャンプ場に行った事がなかったので
◯19日に埼玉県大宮県営球場でで母校の野球の試合があるので
東北道沿線で行けるキャンプ場に行きたかった。
と言う事でこのキャンプ場を前日に予約。
今回は、いつもの荏原から首都高に乗るのではなく
三軒茶屋から乗って、C2で行く事にする。
池尻で話題のループをぐるぐる降りてC2に乗る。
目が回りそうだった。S1の乗り換え東北道に。
佐野ICで降り50号線を桐生方面へ。途中足利市を通ると
『日本最古の学校・足利学校』という看板が、、。
中学校か高校で習った記憶があり興味をそそられたので少し寄り道。
http://www.ashikagagakko.jp/
古くは、奈良時代の国学の遺制であるという説。また平安 時代初期、天長9年(832)小野篁(おののたかむら)が創建したという説。鎌倉 時代の初期、建長元年(1249)に鑁阿寺を開いた足利義兼 (足利尊氏六代の祖)が建てたという説。室町時代中期、 永享11年(1439)に関東管領(かんとうかんれい)上杉憲実(うえすぎのりざね)によって開かれたと いう説などがありますが、学校の歴史が明らかになるのは 室町時代中期以後、だそうです。
500年以上前からあるのは確実。正直こんな(失礼)田舎にこれだけの学校があったのは凄い事だ。
買い物にも行かなきゃならないし、まっすぐ向かっても5時過ぎそうだったのでゆっくり見学は出来なかった。
子供達がトイレに行く間に、ビデオを少し見る。
http://www.ashikagagakko.jp/video.html
学校を出て、50号線に戻る途中に、偶然にも
『渡良瀬橋』を通る。
http://kofunmoodys.fc2web.com/asikaga_1_kouen.html#yakumo_jinja
僕らの世代には懐かしい歌の場所。
キャンプ場のおじさんに電話で一番近いスーパーを聞くと、大間々の『FUJI Mart』
が一番近いという事で、“鹿”という交差点まで行き県道69号線を右折して買い物に行く。
このスーパー、食材が安い。ご飯も量り売りでジャーに入って売っているし、コロッケ一個25円。
もやし3円。生餃子8個入りが100円とか。子供達がバーベキューしたいというので
牛肉も買う。こちらは奮発して国産の5等牛のステーキ。バーベキュー用の肉もいいヤツを買う。
ちょっとして買った花火を忘れてきてしまった事に気付く。娘が残念そうだった。
国道122号線に入り、30分ほど走り草木ダムを越えて、目的地の『ファミリーオートキャンプ場そうり』
に着く。既に5時半を回っていた。僕らが借りたのは21番サイト。3連休だがそんなに混んでいないので隣のサイトに車を置き
急いでテント・スクリーンタープを設置。息子が張り切ってくれてすんなり準備が完了。
設置後すぐに日が暮れランタンに火を灯し、バーベキューの用意。炭火を起こし
アルミホイルでくるんだじゃがいもを火に放り込み、最初はウィンナー。
鶏肉を焼いた後に、お待ちかねのステーキ。買ったご飯と一緒に頬張る。
ちょうど食べ終わった頃に雨が降ってくる。タープ内に移動し飲む。
ふと、気付くとセミがさなぎから脱皮している所を発見。我が家のテントのロープを使って
脱皮している。なんでこんな所を選んだんだろう。無事巣立つ所を見守る。
酎ハイを6杯飲んだところでこの日は就寝。
2010/07/21 01:07:36
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SL旅シリーズ第7回目は、東京都世田谷区立、世田谷公園内で静態保存中のD51 272号機 です。
静態保存とは、機械類が、本来の用途としての動作・運用が可能でない状態で保存されていること。対して、動作・運用可能な状態で保存されている場合は動態保存と言います。静態保存の状態から動作・運用可能な状態に復元することも行われ(その事をレストアと言います)動態の状態であった機器類が保存・維持管理が悪いために静態保存となる場合もあり、また、静態保存の一種に、後に現状復帰させることを前提としたモスボールがあります。精密機器類の取り外し、稼働個所にグリス漬け、各所の隙の封止を行う等の、なるべく劣化が起こらない処置を取った上で保存する事を指します。
最近話題になっているC61形20号機が有名で群馬県伊勢崎市華蔵寺公園で保存されていたC61を動態保存にするため、現在JR東日本大宮総合車両センターでレストア復元中です。
参考資料 Wikipediaより引用
D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車である。主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、その所属両数は総数1,115両[1]に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数では最大を記録した。また「デゴイチ」の愛称は有名で、日本の蒸気機関車の代名詞にもなった。
D51形272号機
1939年、昭和14年8月7日に川崎車輌製で川崎車輛(45両)中 D51 265 - 309(製造番号2143 - 2152, 2168 - 2177, 2191 - 2197, 2200 - 2209, 2212, 2211, 2210, 2213 - 2217)の内の1台で広島に新製配置され、その後小郡・柳井と山陽本線西部の機関区を移動。昭和29年に九州に渡り熊本区を中心に鹿児島本線で活躍した蒸気機関車で、昭和32年11月に日本国有鉄道小倉工場で、1945年以後に除煙板を上半分を残して切り取り、車体にアングル材で取り付けた除煙板、いわゆる小工式デフレクターが登場しました。この事を門司鉄道管理局式デフレクター、略して門鉄デフ、門デフと呼ばれて親しまれ、その小倉工場にて切取りデフ(門デフ)を装備しました。普通の大きなデフレクターをCUTして大きさを小さくし効率よくした物をさします。
その後、昭和45年に周辺の電化などによって再び本州に戻り、厚狭区に配置されて美祢線などで働き、そして、廃車は同区で昭和47年9月30日に長年の役目を終えました。
現在は東急田園都市線の池尻大橋と三軒茶屋駅の中間あたりにある区立世田谷公園内に保存されております。
2010/07/10 10:07:12